親友とのお別れ

マスコミでは藤圭子が亡くなったとやけに騒々しい。

同日の夕刻、親友の奥さんから主人の容態が急変し、今晩が峠という知らせを受ける。
入院は半年前で、なかなか好転しない毎日であった。
当社事業部センターの部長に連絡したところ、今から店に入りますから直ぐに行って下さいとのこと。
急いで駆けつけたが、すでに話はできない状態。
そして30分後、家族の皆さんに囲まれて、苦しむことなく安らかに逝ってしまう。

思えば彼とは半世紀近くの付き合いだ。
高校に入った時に初めて親しくなった俗にいう馬が合う友人である。
私がレストランを始めてから39年前、大阪から帰った彼は実家の青果店を継いでいた。
お蔭で珍しい野菜や果物も随分紹介してくれ、勉強もさせてくれた。
店のイヴェントのゴルフ、忘年会、新年会、歓送迎会等全て参加をして盛り上げてくれる。
そういえばグァム島や沖縄の社員旅行も一緒だった。

一緒に飲みに行けば、いつもカラオケでは点数を張り合っていた。
年配の男二人での温泉も変だが、九州から島根まで何十回も出て行った。

一度イタリアを見せたくて、奥さんに遠慮していて言い出せない彼の為に、これからの八百屋はイタリア本場の野菜も見なくちゃ駄目だからと説得し、二人でイタリアに行った事もあった。
偶然にもローマの入り込んだ通りで、シナルさん!と呼ぶ声が聞こえ、振り返ると友人も良く知っている後輩だったのでビックリ。
その時はイタリアを満喫し、本当に喜んでいた彼の顔は今でも忘れられない。

先週の木曜日の朝、土曜日に開催される高校の同窓会の為、数名の同級生に電話し、これから会える友人たちも少なくなるので、なるべく参加してくれと連絡したその日の出来事だっただけに不思議である
翌日のお通夜には新聞を見て参加してくれた友人も数名いた。ありがたい。

葬儀の日にはかなりの参列者であった。
沢山の方が悲しい涙でお別れを告げている。
私も数えきれない思い出が走馬灯のように巡り、目頭が熱くなりどうしようもない。
なかなかお別れが出来ず、荼毘に付されるまでお付き合いしてしまう。

その日の私の役目はもうひとつ、同級生のみんなにご冥福を祈っていただくために会場に向かう。
やはり全員樋口の人の良さが良く解っているだけに残念がっていた。
この場に樋口がいたら楽しい同窓会になったのだが・・・・

初七日の今日思う。今まで沢山の楽しい思い出をありがとう!