4月13日

オイルショックの翌年1974年の4月13日ペイザンは創業し、今日から40年目に突入。

オープン当日のレセプションは屋外にまでテントを張って、料理を準備し皆様にお祝いしていただきました。遠い昔なので随分懐かしく感じる。
以前の職場であった博多のホテルからコックさん5人(先輩ばかり)、宴会のホールサービス主任さんが一人ヘルプで来て下さったのがとても嬉しくて今でも思い出すたびに感謝している。
皆さんでホテルの宴会と同じ内容のフランス料理を作って下さった。
それが田舎の人たちにはとても高級に見えたようで、私もこの上ない喜びであった。

あれから39年が過ぎ去り、時代は大きく変化してきた。そんな中でバブルなど波乱万丈な経験を味わって今日に繋がってきた。
変わらないのは、いつもお客様や仕入れ業者の方々、そしてスタッフに支えられてきた事。

思い起こせば、当初の建物の屋根に使っていた合掌は井関小学校の校舎を解いた時の廃材。
それを私の父がいただいてきた物だが、校舎に使っていただけに、とても太い木であった。
多分それが7本あったような気がする。
平成5年に新しく立て替えたものの、振り返れば、あの合掌はどうしたんだろうと気になってくる。
30年過ぎた頃、井関小学校に少しの恩返しをさせていただけたことだけが、お墓に眠る父も喜んでくれていると思う。

オープン後3年して宇部市内に支店を出店。その2年後山口にも出店するがなかなか波に乗れなかった。
両店を閉め、小郡新幹線口近くに事業部センターなるセントラルキッチンを建設する。同時に株式会社アール・ペイザンを設立。
その後、宇部店、山口店、下関店、小野田店と出店するが山口店だけ残し、本店でもう一度一から出直すつもりで宴会場のあるレストランを建築し(但し、山口店は2005年に閉店)現在に至る。

いつの時代も変わらぬことは、料理を作っても、接客をしてもお客様に喜んでいただける事が自分の最高の喜びとなっていることは間違いない。勿論それによって当社のスタッフ一同(家族と呼んでいる)とも幸せを分かち合いたい。

やはり私は現場の人であることをつくづく感じる今日この頃である。

これからもリストランテ・ペイザンを宜しくお願い申し上げます。